「西の芦屋、東の田園調布」と言われる都内有数の高級住宅地
大田区は東京湾に臨む神奈川県と東京の県境にある区です。
最大の特長は羽田空港国際線ターミナルまでつながる湾岸道路を有しているということで、かつての京浜工業地帯の名残を感じさせる道路アクセス環境のよさが維持されています。
また住宅街として「西の芦屋、東の田園調布」と呼ばれたこともある都内有数の高級住宅地である田園調布があります。
田園調布は東急東横線の駅の一つとして機能しており、目黒区の有名住宅街である自由が丘と駅一つの距離に置かれています。
「西の芦屋、東の田園調布」という言葉が生まれたのは大正時代のことで、渋沢栄一が英国の田園と緑地を使用した住宅街を日本でも実現しようという構想のもと、総合的な街づくりがされたことに起源を発します。
現在も田園調布駅から下りて町並みを見ると、駅を中心に放射状に道路が区切って敷かれそこに低層住宅が居並んでいる様子がありますが、これも当初の都市計画によって設計されたものです。
ただ現在は都内の他の場所でも大規模な都市計画が進み田園調布よりも地価の高い人気の住宅街が登場してきたので、かつてのような都市としてのブランドイメージはそれほど高くありません。
その一方で有名企業の社長や芸能人が数十億をかけて自宅を建築したということも田園調布ではよくあるニュースなので、セレブが自宅として選ぶ都市というイメージは今後も続いていくことでしょう。
一般向け住宅としての人気は蒲田エリア
セレブ層向けの住宅エリアが田園調布なら、一般向けの人気エリアとなっているのが蒲田や大森といった場所です。
蒲田駅および大森駅はともに東海道本線の駅として品川方面から神奈川方面に向かってまっすぐつながる路線の途中にあります。
大田区内を走る路線は他にJR東海道本線よりもやや海側を走る京急本線と、目黒区方面から羽田空港に向かう東急東横線があります。
蒲田駅はJR線と東急線がちょうど交わる場所にあり毎日の通勤通学にも、空港方面の利用にもどちらにも大きな利便性があります。
もともと蒲田は平安時代から住宅街として使用されてきたという都内でも有数の住宅地域であり、京浜工業地帯として数多くの工場が近辺に建築されてきました。
産業構造の変化と戦後の土地再開発によって蒲田駅周辺は工場が消え、住宅街として新たに再編されていきました。
しかしかつては労働者が集う街であったということから、現在の商店街の前身が闇市であったなど街のあちこちには昭和の復興期を感じさせる建物が残されています。
現在ではさらに再開発により地元の低層住宅が大型マンションやビルへ建て替えが進められています。